横浜市議会議員 おぎわら隆宏

 

おぎわらモーニング

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Vol.4

日本の多様性と地方分権③

少子高齢社会が進展するにあたって、地方自治の制度拡充は国家的課題として対応する必要が増してきます。財政の側面からも、国から地方へ還元される税と、自主財源とのバランスの維持について、自治体自身が主体的に考える事が、より大きく求められる時代になります。
地域が生活の基礎力をつけることは、地域の経済圏の基礎を育むことにも繋がります。
それは、東京の経済が倒れたら地方の経済も総倒れになってしまう日本の一極集中的な経済モデルを変えて行くことにも繋がり、いわば日本経済の体質改善を行うことを意味します。
地方分権については、長く財源と権限の移譲について語られてきました。しかし実は、この地域の基礎力の構築こそが本当のゴールです。そしてこの地域の基礎力の構築には欠かせない要素があります。それが、住民への自己決定権の移譲・拡充です。

住民にもっと自由を

財源の移譲とは、国が握っているお金を地方の裁量で使えるようにすること。権限の移譲については、たとえば保育所の設立や道路の使い方などの規制、国の法律によって縛られている各分野の許認可等の権限をもっと地方の自由に任せる、というものです。
今でも、地方分権といえば、お金と権限を霞ヶ関から地方の県庁や市役所に委ねる話が中心ですが、しかし、これまでの地方分権の議論の中で決定的に欠けている点があり、それが、住民の自己決定権、住民自治の拡充の話です。市役所や役場、県庁が決めていることを、住民が決められるように住民自身に権限を移譲していく作業です。
その移譲のためには、物事を決める住民の手による議会の存在が欠かせません。したがってその議会を、自由に設置出来たり、変えていけるようにすることがまず大事です。たとえ構成人員百人ほどの小さな町内会でも、町内会に町内会議会を設置したり、連合町内会議会なども設置出来るようにする。それらの議会に出席し発言する議員は選挙で選ばれて、町内会長は国会の首相のように議員の中から指名されても良いし、市長のように直接選挙されても良い。住民がその仕組みを作る事が出来る。議員の数や報酬額、選挙の仕方、長と議会の関係は住民がその自治体の「憲法」に書き込み、住民投票によって承認を得る。議会を設置した町内会には、課税・徴税権も与えられる。
これは夢物語ではありません。
これこそが、欧米では数多く事例の見られる地方自治の姿です。
国が押し付けるように定める地方自治ではなく、また、行政の下請けのように利用される地域組織ではなく、住民の自由意思によって発足し運営される本格的な地方自治の促進をこそ、我が国は取り組むべきなのです。住民が行政に従うのではなく、行政が住民に従う自治の実現です。
自治体の意思決定の仕組みを構築するのは、主権者の権利。主権者は住民・国民です。
その権利の行使を担保するために、自治体の憲法を策定する。そしてその憲法は住民投票によって決定される。
自治権の確立は自由であるべきで、立法と行政執行の設定も自由であるべきなのです。

地方は中央政府の監視役

これ等の自由意思に基づく自主独立の自治は、多様な自治団体を形成することに繋がり、したがって中央政治による専制的な国家運営に、多様な意見をぶつける事が可能になります。これが中央の監視役として機能する地方自治の姿です。
いっぽう、国の政策を左右し得る実効的な監視の役割を可能にするには、システムの確立の他に、政党政治の成熟も必要です。
システムにおいては、監視役となるからには、国政の延長線上にない政治の姿を作らねばなりません。国政に依拠するのではなく、地域自身の自由と良心に依拠する政治を作る。
そのために、住民自らが自治の政治システムそのものを作る事が出来るようにする。住民の意思による地域政府づくりです。これによって、中央政府の恣意的な介入による地方政治のあり方からは卒業することになります。
次に、政党政治です。政党内部において、国会議員と地方議員のコミュニケーションが活発に行われることは極めて大切です。国と地方の間にあまりに強い一線を引き過ぎてしまうと、意志疎通すら出来なくなる状況も出てきます。また、本来国会議員と地方議員に上下関係はありません。国会議員の言う事を地方議員が子分のように聞かねばならないということは全くないのです。互いに忌憚なくモノが言える関係であれば問題ないでしょうが、ボス・子分の関係が強過ぎると、地方がなかなか監視機能として働けない。むしろ地方が中央の意向を丸飲みしかねない。地方議員は、国会議員のために働くのではなく、住民のために働くのが本旨。なにより政党と国会議員自身がそのことを心得なければいけません。しかし往々にして日本の政党は、地方議員を自治の担い手としてよりも、国政選挙のための存在と捉える傾向が強く、これもまた集権体質の残滓と言うべきでしょう。
国政がなかなか安定して政権交代を担保出来る状態にならないなかで、政権与党に対する十分なチェック機能を国家のスペックとして常備するためにも、「地方自治の拡充による中央監視機能」を高める努力を始めるべきだと思います。

「和」は多様性を包容する力

私は、多様性は国益に繋がると考えています。
多様性は、対立よりも、歩み寄る融合力を高めるものです。その融合力が「和」です。
我が国の本来の魅力は多様性にこそあり、それは、大きな山から小さなお米の一粒に至るまで、どんなものにも神様が宿ると考えるように、どんな事物にも大切な存在価値があって、その個性を寛容と包容力を以て慈しむことが、古来日本が育んできた「和」の哲学だと思うのです。

世界の様々なあり様を許容して包容する協調の姿が「和」であり、対立を煽る政治や、自己保身や排他的な政治姿勢のなかには、古来より培かわれた「和」の精神を観ることは出来ないと思います。多様な価値観を多様なまま生かす能力こそ「和」であり、地方分権とはその実践に他なりません。協調に基づく多様性を生かす和の国づくりが、我が国の力強い未来を切り開くと信じています。

価値観の多様化は、グローバル化の帰結でもあります。
国際社会の多様性に不寛容な国家は、自ずと活躍の舞台を去ることになるでしょう。

日本を覆う人口減少・少子高齢社会は、ますます日本をして国際社会との連携を深めることを要請します。
なぜなら、国内に閉ざした経済だけでは国民は食べて行けないからです。
経済は常に一国のみでは成らず。経済の停滞と破綻は国内外を問わず紛争を助長するゆえに、経済の安寧は国際社会共通の希求でもあります。
我が国が将来を慮るならば、まずは益々国際通商を盛んに興し、世界の様々な価値観に親和することを恐れないことが肝要と思います。
様々な価値観が様々な未来の種を育て、多様な可能性を子々孫々に残すことでしょう。
今後日本の心得るべき姿勢は、同じ考えを持つ者同士を集めることよりむしろ、違う考えを認め合う者同士をこそ、集めることだと思います。そもそも世界は違う者同士の大いなる集合体ですから。

日本の政治の複雑さを解決するためにも、地方制度改革は必要です。
国の議院内閣制と地方の二元代表制(公選首長と公選議会の並立)とは、性格を大きく異にした政体です。その違いをよく認識しながら使い分ける必要があります。
また、この制度的複雑さの上に、我が国は政党政治が盤石でないという負荷ものしかかっています。
これらの負荷が遠因となって、我が国の政治は国も地方も、住民・国民からはなはだ距離が生じています。地方議会の役割がよく分らなかったり、国会が国民意見をどのように反映しているのか分らなくなったりするのは、そのためです。

国の主(あるじ)は国民でありますから、政治は国民のもっとも身近になければなりません。
国民の身近に政治をあらしめることが、政治家の第一の役割と言っても良いと思います。
どの野党も議会過半数まで遠く、国民が政策転換を期待し野党を政権党とすることが困難な状況にあっては、結果として国民の選択肢を狭め、国民主権を毀損します。国民の意思よりも政治家や政党の意思を優先しては、国民と政治との距離がさらに広がり、民主主義は機能しなくなります。

地方分権の真の意義は、政治を住民・国民の身近なものとすることにあります。
それは我が国の民主主義という社会を動かす装置の、新しいラインナップの登場でもあります。
地方自治は政策として極めて地味で、マスコミで議論されることもけして多くはありません。それでも、日本の新しい地平を切り開く大変重要な分野として、避けて通ることなく、安全保障や税制、社会保障などの政策と同様に、地方自治制度に関しても国政における議論が高揚することを心から期待したいと思います。

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