横浜市議会議員 おぎわら隆宏

 

これまでの活動

/ おぎわLife-Blog

おぎわLife-Blog

民主党は、無我無欲で国民の信頼を得なければならない

2011年1月23日 日曜日

今日、ある番組で日本画家が「これを描いたのは僕じゃない。無我でやっているから。だから絵に名前は入れない。」

無我、私心を捨てる。

最も高い徳、善、理念と言うべきか。

もう何年も前になりますが、これもドキュメンタリー番組で中国の山奥の村人が「どんなに貧しくても、人が訪ねてきたらお茶一杯は出せるようでありたい、そして困った人がいたら助けてあげたい」と言ったセリフが心に残っています。自分のことより他人のことが大切という気持ちが忘れられない。

夏目漱石は、「則天去私」と言いました。天に則り、私を去る。無我の境地です。

そしてアリストテレスは、「幸せに生きるということは、外部的な善(冨、金銭、権力、名誉)を必要以上に所有しながら徳(精神の善)において欠けている人々よりも、品性と知性を高度に練磨して外部的な善の所有はほどほどにしている人にこそ、よりいっそう備わっている」と言いました。カネや権力の我欲を捨て、品性(徳)ある人生が幸せでよろしい。

西郷隆盛は、論語から引用して「意なし必なし固なし我なし」と言いました。意は主観で物事を考える、必は自分の意見を押し通す、固は一つの考え方にこだわる、我は自分の都合しか考えない。孔子が克服していた四つの人間の欠点。これを克服せよ、と論語は教えます。

二宮尊徳は禅語から引いて、「無一物」と言いました。禅は、人間は本来無一物だ、と説きます。人間は生まれてくる時は何も持ってない。死にゆく時もまた何も持っていかない、と。

ソクラテスは自分の信念から自ら毒杯を仰ぎました。皆が決めたことだから、自分は無実でも、それでも皆の決定が死刑ならそれに従う。究極の「去私」です。

ケネディは ask not what your country can do for you – ask what you can do for your country と言いました。そしてそのあとに、このように続けています。

My fellow citizens of the world, ask not what America will do for you, but what together we can do for the freedom of man.

国や他人に求めるのではなく、自分に出来ることをする。アメリカン・スピリットの原点と言うべきでしょう。

無我無欲の人間像。誰もが到達出来ないと思う境地だけれども、しかし、誰もが納得する、誰もが必要としている人間像。

だからこそ世界中にその哲学が語り継がれ、その実践者の魂は生き続けているのだと思います。

まさに政治家こそが、私心、我欲を捨てねばならない、まず最初の人間であるべきことは、実に、言うまでもない。

民主党は一丸となって、無我無欲を貫き、私心を無くし、政党政治に対する国民の信頼を取り戻さなければならない。

議会は市政の運営責任を示せる選挙をしなければいけない

2011年1月22日 土曜日

議会から首相を選出し、予算編成と行政執行を行う地方議院内閣制が導入出来れば、選挙が一変します。

各会派は、自分たちが政権与党となった時の首相候補をあらかじめ選挙の際、市民に示します。

さらに、全閣僚とまでいかなくても、たとえば教育大臣、こども大臣、消防大臣(大臣=局長)などの候補者も、事前に示せればなお良いと思います。

市民は、どの会派の内閣が一番魅力的か、そこを選ぶ選挙になるのです。

会派も、魅力的な内閣を作るために有能な人材を確保する。

小選挙区化をすれば、なお一層明確な選挙になると思いますが、衆議院と比べてエリアが狭いですから、比例代表制導入も考えて良いと思います。

今、民主党しか事情は分かりませんが、地方選挙の候補者選びは、国会議員が決定責任者になっています。

しかし本来は、横浜市会の候補者は、横浜市会の各会派が責任を持って決めるべきこと。

国会議員・国政政党の勢力拡大のために横浜市会があるわけではありません。

この状況を正すためにも、地方議会の民主会派、自民会派、その他会派が「我がチームの人材はこれだ」と市民にアピール出来るような選挙をしたいと思うのです。

今は実質、議会が首長の補佐役に過ぎない。そして議会が補佐役を止めた時、阿久根や名古屋のように政そのものがストップしてしまう。だからこそ地方議会と首長はこれまで「馴れ合い」を前提とした市政県政を続けてきた。ある意味、それが地方政治家たちの知恵だったのだろうと思います。

しかしもう、時代は変わらなければいけないです。地方議会への批判は市民国民の要請ですし、その内容は正しい。

議会は議会らしく、本来の役割を果たさなければなりません。

地方議院内閣制は、チーム制の政治。会派が市民にマニフェストを示し、政権を目指し、責任ある議会を運営する。

本当の意味で、市民とともに歩む議会の、ひとつの方法です。

地方議会を変えるための抜本改革3点

2011年1月21日 金曜日

今の地方自治は、次の3点を早急に変えなければならない。

①二元代表を続ける場合、行政と議会を完全に独立させること

現在、議会スタッフは行政予算によって行政の人事異動によって調達されている。議会スタッフの雇用主が首長になっているため、行政と純粋に独立した議会活動が出来ない。

議会シンクタンクもなく議会政策スタッフ制度も未熟なため、議員が的確な政策形成を行うためには、議員個人あるいは会派と行政が水面下で頻繁に接触し正確な行政情報を摂取しなければならないが、この実態は三権分立を旨とする二元代表制の意図に反しており、政策責任が首長にあるのか議会にあるのか結果的に曖昧にしている。

二元代表制の場合は、議会が独自の予算を持ち、その使い方を議会が自ら決め、議会スタッフの人事も決定出来るようにしなければならない。そして議会が政策形成出来るに十分なスタッフを確保する必要がある。

②首長(行政)主導型か、議会主導型(内閣制)か選択できるようにすること

人口規模、地理状況、産業構造によって自治体の運営内容はまったく異なる。規模が比較的小さな自治体で、議会に会派がなく(町村議会の8割は会派制を採っていない)議員定数も10名程の自治体であれば、現行の強首長型二元代表(首長主導型)でも運営出来るだろうし、100万人以上の人口を抱え重層的な産業構造と国と連動した経済政策を求められる大都市では、多様なニーズに民主的に応え得るガバナンス装置が必要になってくる。議会主導型の自治体では過半数を形成する会派がチームとして政策責任を負うため、住民が選挙によって議会市政への判断を示す機会が明確に確保される。予算編成権、行政執行権、議案提出権を議会に置くか首長に置くか、どちらが主導するかを自治体ごとに設定出来るように自治法を改正するべきである。二元代表は行政と議会を独立させ、内閣制は行政と議会を一体化させるガバナンスである。

③二元代表制を続けるなら党議(会派)拘束を撤廃すること

党議拘束は内閣制のためのルールであって二元代表制では用いるべきではない。党議拘束があるから首長が議会過半数を制しようとする動きが出てくるし、議会も首長与党を形成して議論のない議会を作ってしまう。これは運用面の話であり、現行の二元代表制を続けるのであれば、議会人自身が一斉に決断しなければならない。

いま、地方議会は首長を補佐する一行政機関になり下がってしまっている。

市民の信任を得るためには、議会制民主主義を担保すべき議会自らが、大きく動かなければならない。