横浜市議会議員 おぎわら隆宏

 

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うどにはうどの、トマトにはトマトの良さがある。

2011年6月14日 火曜日

私、うどとたけのこ好きです。

今日のうどは宮城県蔵王産。

となりの姫筍は店員さんに薦められ、おいしそうなので買いました。青森県産宮城県加工(多分、皮むき)。

今日は無いですが、レタスも好きです。

うどもたけのこもレタスもシャキシャキしてるので好きです。

とくにベジタリアンというわけではありません。肉も魚も好きです。

おいしくいただきました。

トマトも好きです。

パスタ用のトマトソースはトマトの段階から作ったりします。

優しい甘味と水分たっぷりなところが好きです。

うどは、どう転んでもトマトではない。

トマトもうどではない。

たけのこもレタスもうどではない。

それぞれだから良い。

地方自治というものも、こういうことだ。

いろんな考え方が一緒に並んである。

もともと自然に、世界にはいろいろあって、

だからいろんな考え方が同時にあったって、そのこと自体は受け止めることが人として自然だと思う。

なんでいろんな考え方が同時にあるのかって、なんで皆でひとつの考え方になれないんだろうかっていうのは、

それは、いろんな言語、いろんな民族、いろんな宗教があるのはなんでだ?に、答えるくらい難しい。

キリンやカバや象がいるのはなんでだ?

鉄や銅や銀があるのはなんでだ?

こういった、世界にいろいろあることを自然に受け止めないで、人は幸せでいられるだろうか?

そのいろいろあるのを受け止める装置として、人間社会に地方自治がある。

地方自治のでっかい版が国家だ。

地方自治がうまくいかない国家の運営が、うまくいくはずがない。

私はそう思います。

横浜には横浜の良さ、

うどにはうどの、良さがある。

13日の校庭放射線量の測定値

2011年6月14日 火曜日

第二回定例会でも多くの要望があった放射線測定。
昨日、区内1校ずつ、校庭の放射線量が測られました。
測定機が土壌用ではないので、地表50cm地点の大気測定です。
数値は、最小値/最高値(校庭内を5カ所測定したうちの最小値と最大値)。
発表した災害対策本部放射線対策部の説明では、いずれの小学校の値も、この放射線量のもとで児童生徒が校庭を1年間利用しても、文部科学省が示した目標値である「学校において年間1mSv(ミリシーベルト)以下」を下回り、利用者の健康に影響を与えるものではなく、年間を通じた校庭等での活動に支障はありません、とのこと。
単位:マイクロシーベルト/時
◆鶴見区末吉小学校6月13日(月)14時0.08/0.15◆神奈川区子安小学校6月13日(月)14時0.08/0.11◆西区宮谷小学校6月13日(月)13時50分0.10/0.15◆中区山元小学校6月13日(月)14時0.06/0.13◆南区日枝小学校6月13日(月)14時0.10/0.14◆港南区野庭すずかけ小学校6月13日(月)14時0.09/0.11◆保土ケ谷区今井小学校6月13日(月)14時0.10/0.13◆旭区中沢小学校6月13日(月)14時0.07/0.13◆磯子区根岸小学校6月13日(月)15時30分0.04/0.13◆金沢区能見台南小学校6月13日(月)14時0.06/0.12◆港北区下田小学校6月13日(月)14時0.09/0.12◆緑区森の台小学校6月13日(月)13時30分0.09/0.14青葉区◆みたけ台小学校6月13日(月)14時0.10/0.13◆都筑区川和東小学校6月13日(月)14時0.06/0.11◆戸塚区上矢部小学校6月13日(月)14時0.09/0.12◆栄区小菅ケ谷小学校6月13日(月)14時0.10/0.15◆泉区上飯田小学校6月13日(月)14時0.07/0.09◆瀬谷区原小学校6月13日(月)15時0.08/0.14

なぜ日本には国民が望むリーダーが生まれないのか

2011年6月4日 土曜日

トニー・ブレアもデイヴィッド・キャメロンも共に40代前半でイギリス首相となった。

若くエネルギッシュな政治家が、並み居る老獪・古狸な政治家を押しのけ党首となりスピーディーに首相に上り詰めるのを見るのは爽快である。

議院内閣制は本来、国民が望むリーダーを生みやすい制度。

総選挙で負けられないから政党は最高の党首を用意するし、途中交代の時も大統領のように直接選挙ではないので大々的にやらず国会でサッと選挙出来る。しかも国会議員が選んでいるので、国民がダメ出しをしやすい。直接選挙される大統領は、一度選ぶとなかなか替え難い。

しかし、国民が望むリーダーが首相に選ばれるかどうかは、政党と国会議員の感覚が、国民の感覚とイコールであればこそ、である。

政党関係なく、政権交代してもなお、これだけの数の首相が懊悩し自主的に辞任してコロコロ替わるというのも、

今の日本の政党と国会議員の感覚が著しく国民とかけ離れている証左と見なければならない。

国会議員は、本当は国民の感覚をよく知っていると思う。

しかし、なぜかそれを横に置いてしまって、仲間の都合、ボスへの恋慕、自分への不利益、過去の義理を主たる判断材料とし、物事を進めてしまう。

結果、国民の望みからほど遠い、政党・派閥の保身と、国会議員の私情の塊のような国政が展開される。

しかし、もうひとつ、単純で大きな理由があるように感じる。

弁論術はギリシャでは民主主義の発達と同時に育った。

日本人はもともとしゃべり下手と言われるが

国民の心を掴む言葉が足りないのかもしれない。

言葉をもっと本当に大事にしたほうがいい。

伝わる政治をつくるために。